『名探偵コナン』を読んでいてふと思いました。
裏組織の人間に飲まされた薬のために身体が縮んで、高校生だったはずが子供の身体になってしまった工藤新一。
阿笠博士に助けを求め、自分が工藤新一本人であることを博士に証明する時に彼が採った手段は「推理をしてみせること」でした。
その観察眼を駆使して、博士が今どこに行ってきた帰りなのかを当ててみせたんですね。
「高校生探偵」として類まれなる推理力を持っていた彼は、その推理力を「自分を証明するもの」として使用したわけです。
じゃあ俺たちの場合はどうでしょう。
俺たちにとっての「自分を証明するもの」とは一体何でしょうか。
もしも、いきなり子供の姿になっちゃったとして。
もしも、起きたら性別が変わっちゃってたとして。
親や友人にどうやって「自分」であることを証明しますか?
共通の思い出や、秘密の話を打ち明けますか。
設備の使い勝手を把握していることを見せますか。
ゲームの腕や知識を披露しますか。
その他に、「自分を証明するもの」「自分を表現するもの」は何か無いですか?
「自分であることの証明」は、すなわちアイデンティティの証明である。
何が言いたいかというと、そこで「証明」するためにやろうとすることっていうのは、究極的に自分は「こういう自分である」と認識しているものであるはずなんですね。
どんな風に「自分である」ことを相手に証明するのか。あるいはどんな風に証明したいのか。
薬によっていきなり子供の姿になっちゃうことは実際にはないとしても、例えば初対面の人に「自分はこういう人間ですよ」と伝えるのにどんなことをしますか?
会社を辞めたい辞めたいといつも言っているそこのあんた。
肩書がなくなった後、「自分はこういうことをやってます」って伝えるのに何て言いますか?
そういう自分の探し方もあるんじゃないかという話でした。
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