逆境から見いだせるもの―『逆境にまさる師なし』

逆境にまさる師なし

200ページを超える内容だったが、割と読みやすかった。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

この本の中でも紹介されている言葉だが、確かにその通りのことだと思う。

そして本を読むことは、歴史に学ぶことに該当するのだろう。

この本の場合、作者の自伝と言う内容だけに
「作者の人生を追体験する」ことのできるものとなっている。

幼い頃から貧困と貧乏の中で暮らしてきた作者は食べていくために、
がむしゃらに父親の手伝いをして働いていた。

父親が病死して以降は、長男として
母と兄弟を食べさせていくためにさらにがむしゃらに働いた。

そんな環境を過ごしてきたために、最終的に「逆境こそ我が師」
との考え方に行き着いたことは不思議なことではないだろう。

そして同時に、「やってみなければわからない」という行動力にも繋がったこともまた自然なことである。

1人の人生における信念、座右の銘、ポリシーのようなものを
それにたどり着くまでの過程とともに、たどり着いてからの生き方までも記した本書は
確かに良書である。

しかし、「苦しい状況でもこれが真実だからもっと頑張れ」
と言ったような意味を本書から受け取るのは解釈としては若干の違和感があると思われる。

この本を読むことになったのは、会社の上司から読んでみろと渡されたからだったのだが
本のタイトルを見た時には、「嫌いな上司からまた変な本を渡されたな」
「だから怒られても自分のためと思えよ」などと底の浅いことを言いたいのかと思って
うんざりしていた。

だが読み終えた今、上司の真意は別として本書から受け取るべき内容は
もっと違うことにあると思っている。

逆境にあってこの作者が頑張って来れたのは、
何をおいても明確な目標・目的があったからだ。

食べていくためという目的である。

他にどうしようもなかったのだ。
それ以外の環境も世界も知らず、ただ生まれた両親の元がそういう状況だっただけで
否応なく懸命に働くことを余儀なくされたのである。

そんな環境を過ごしてきた上で、自らの状況を客観的に見つめることができたために
「逆境こそが師」だと言えるほどの精神的成長を遂げることができたのである。

そんなことをいっさい無視して「だから困難な状況でも自分の成長のためと思って頑張れ」
などということをメッセージと解釈するのは、明らかに読み違えている。

この本が教えているのはそういうことではない。

逆境であっても立ち向かわざるを得ないようなお前の目標や目的はいったい何だということだ。

本書を読んでそれを考えさせること。
それが本書の受け取り方としては有効なのではないだろうか。

目標や目的があるからこそ逆境でも頑張れるのである。
何もないならば頑張れるはずもなく、ごまかしてやりすごしても身に付くものはないだろう。
困難に立ち向かうとは何かの目標のためであり、壁を乗り越えてそれを成し遂げたときに
人生における大いなる何かを学ぶことができるはずなのである。

逆境は確かに人を成長させる。
乗り越えることができてもできなくても、成長に繋がるものだろう。

立ち向かおうとしなければ何も得るものはないだろうが、
しかしどうせなら乗り越えたことで学べることを学びたいし、
逆境の辛い時に「乗り越えたら成長できてるから頑張れ」などと言われても困るしかない。

だから、立ち向かう気にさせてくれるための目的が必要なのである。

困難にあえて立ち向かって乗り越えて果たしたいあなたの目標とは何ですか。

本書を読んで、このことが問われているような気がしてならない。

苦境にある人を元気づけるためのような本ではない。
心の奥底にある信念や目的を呼び起こすための一冊である。

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